むかし、荷物の運搬を、ほとんど船にたよっていた頃、船やいかだで荒川を利用して、この中舟戸が港の役目をしておりました。
荷物の積み込みや、おろしなどで非常ににぎわっていたそうです。
いかだ乗りの「オーイ」「オーイ」と威勢の良い声は、北本の石戸岸あたりから聞こえて来ました。
この呼び声は、岸辺にある魚とりの網をかたづける合図だったのです。舟は、一隻が上下するのでなく、五、六隻から十隻位の集団を作って、運搬しておりました。 この舟は、鴻巣あたりから、東京の深川まで材木を主として運搬しておりました。

荒川を上る時は、幅二間、高さ三間程の帆を風にはらませて、かじ取り機の「ギィーギー」という音をひびかせながら、後から後からいくつもの集団を組んで、にぎやかにのぼってゆきました。 また、この中舟戸には、宿屋もあり、長く港として栄えていたということです。